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Channel: 音楽とかギターとかテキトーに・・・
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歌に嘘はない、だが…

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なんか色々凄いね、あー様…という感じですが…


でも、こんだけ言ってるけど、実は歌(歌詞)に嘘はないと思ってたりもします。

僕は元々『BIG TREE』を除けば『on your mark』『uni-verse』みたいな「大きなコト」を歌った曲はあんま好きじゃないので。

『uni-verse』あたりでは既に「ハイハイ、何か言ってらー」位の感じでしたからね😓


今思うと先述の『BIG TREE』や『man&woman』あたりは曲が素晴らしすぎて、歌詞の世界もすんなり入ってくる感じなんでしょう。


僕的には『月が近づけば少しはましだろう』『no pain no gain』みたいに些細な感情を壮大に変換するのが最大の魅力であり、そこから読み取れる「器の小ささ」みたいなのは、音楽においてはプラス要因だったと感じています。

また『SAY YES』『WALK』みたいな「綺麗なラブソング」的代表曲は、藤子不二雄でいう『ドラえもん』みたいなもので、大衆芸術家として必要だよね、という汎化された作品なわけで、そこに対して裏切るも何もないだろ、という。


もちろん「ドラえもん」が嘘というわけではないでしょうが、それでもその裏にある「ある日突然、親子の愛がなくなって親が子をバンバン殺しはじめる」みたいな短編にこそ藤子作品の本音・本質があると感じたりするわけで。
 
それと同様に「knock」や「tatoo」などマニアックな曲に潜む「クズ男像」が深層心理だったんだろうな、というのも容易に想像が付くところです。




つまり歌詞から読み取れる人間像と、今の主張•発言をする彼の姿にそう乖離はないわけです。


だからよく言われる「変わってしまった」というのは少し違うと感じます。


じゃあ何が問題か…といえば…




その感情•主張を「推敲し数十行に落とし込む」という最も大事な作業を経ずに表に出しはじめたこと


これに尽きると思います。


著者である「インタビュー」「700番」、ご存知のブログwを読んで分かるように、この人の平文、コラム的文書は…


とにかくつまらない


断っておくと、これは絶頂ファン時代から思ってることです。


この点は「同じ文を書くわけだから」と混同しがちで、おそらく本人も間違った自信を持ってしまっているのだと思いますが「芸術的•文学的な文章」と「記事的•コラム的文書」では、必要な才能、スキルが全く違います。



別にこれは彼に限ったことではなく、世の芸術家にはたまにある症状です。
くしくも僕が最も敬愛する小説家である藤沢周平も驚く位にコラムがつまらなかったりします…苦笑




ただ、つまらないといってもアマチュアを含めた全体でみたら流石に「70〜80点」位のクオリティにはなることと、下手に他で成功して地位があるだけに周囲は何も言えず、なんなら賞賛されちゃったりするので、それが「あり」なものとして存在してしまうわけです。


 
ここに、NO検閲で発信されるブログやTwitterなどのツールが最悪の組み合わせとして存在してしまうという…苦笑


一方で、おそらく対等以上の立場で歌詞や曲にディレクション出来る人間がいないことで、作品のツメは明らかに甘くなってるとも感じるわけで…


まとまらなくなってきたので、強引に締めると…


別に何を考えて、何にハマって、何を主張してもかまわないのですが…


本来の生命線である…




その感情を「詞」に落とし込む




という作業を経ていない発言や文書は…


お世辞にも上手いとは言い難いので伝わらないと思いますよ


という…ね…苦笑


もひとつ加えると擁護するお仲間達がいう「誤解されやすい」というのもそういう所だと感じます。

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