このシリーズも5年目に突入・・・まだ約20年近くあるんだけど・・・苦笑
<1995年>
■シングル「Something There」リリース
映画「ストリートファイター」の主題歌として全編英詞と話題になった曲。
まぁハリウッドって言っても元ネタ日本のゲームだし…
映画自体の出来もアレだし…と
言い方は悪いけど「落ち目の話題作り」という捕らわれ方をされた感もあり。
日本人アーティストの「ハリウッド映画主題歌」というステイタスはその響きの大きさに反して、大衆的にはぜーんぜん響かないという先駆けを造っちゃったかな、とw
その呪縛はその後ドリカムや宇多田でも払拭されずに今に至ってますが…
曲自体はサビからの広がりが心地よいチャゲアスらしい壮大なナンバー。
海外にこういう曲歌う人って少ないし、もうちょっとラッキータイミングがあれば海外でもヒットした気も。
いやーバブリーなプロモやぁ~
■アルバム「Code Name.1 Brother Sun」リリース
シングルも溜まってきたし、てな感じでアルバムをリリース。
インタビューでは「ギターサウンドだぜぇ」「ロックだぜぇ」ということを散々言っていたような。
シンセ・ピアノをベースにした音作りから、ギターを押し出したザックリとした音作りに…
なり切れずにちゅーとはんぱに終わった
という印象。
個々の曲はいいんだけど、アルバムとしてまとまりに欠けるんだよなぁ。
「Brother」「can do now」「201号」といった楽曲からは「新しいとこへ行きてぇんだ俺わぁ~」というASKAの心の叫びが伝わってきます。
シンプルながら力強さのある「no pain no gain」は隠れた名曲。
この曲、もう少し取り上げられもいいと思うんだよなぁ~。
今聞くと「それまでのチャゲアス」と「これからのチャゲアス」が混ざり合ってない印象がありますな。
ライブでもよく演奏される曲。ある意味じゃ非常にASKAらしい「ダメンズが女に逃げるソング」
それにしても何なんだこのテキトー過ぎるプロモは・・・苦笑
■ツアー「CONCERT TOUR '95~'96 SUPER BEST 3 MISSION IMPOSSIBLE」
「10億かかってる」とか「舞台セットをハリウッドに発注した」とか「この照明はマイケルジャクソンとチャゲアスしか使ってない」とか…開始前からそんな振れ込みで煽られていたツアー。
こういう前フリがあるときゃ大体ダメ
なんですよハイ。
個人的な感想を言えば
SAY YES以降のレギュラーツアーでは最低の出来
だと思う。
このツアー、前後半で2回見てるんですが、アルバム曲や「月が近づけば少しはましだろう」などの新曲を多くやっていた前半はまだ良かったんですけど、アジアツアーを経てこの辺が代表曲に差し替わった後半は惰性でやってるのが丸分かりのダレたステージングで非常に雰囲気が悪かったのを覚えてます。
もうね…
「モナリザ」で踊って「僕瞳」「YAH」「ロマンシング」っていうフォーマットに本人たちが完全に飽きてたんだよね。僕を含め客もかなりの割合でマンネリを感じてたし。
まぁクラプトンはマンネリを感じさせながらその後10年以上同じセットを通してるんで、やり続けるのもひとつの選択肢だったかもしれませんが・・・苦笑
まぁ僕自身が洋楽とか聞き始めたころで、オープニングムービーとかモナリザダンスを直視出来なくなってきた頃というのもありw
この構成の中で は浮きまくっている“ドラムソロからの「can do now」”が、やりたかった/やるべきスタイルだったというのはこの後のモデルチェンジを見れば明らか。
でも結局この後は、すべての対策やモデルチェンジが後手後手にまわってしまった印象ですな。
パッと見ると「集大成」と呼べるライブなんだけど、「頂上を超えて下りはじめた9.5合目」てな位置かと。
まぁこのツアーを以て、「SAY YES」から続いた“J-POPのトップスターとしてのCHAGE&ASKA”はその役割を終えるといってよいかと思います。
こういうのに無理が来てたんだろうなぁ・・・苦笑
やるべきはこの時点でこっちだったかと
これが一番わかりやすい。
こういうはっちゃけた曲をミョーに落ち着いたアレンジでやり始めたら危険信号w
<よだん>
このあたりで、世間を騒がせた「日本はやり切ったこれからは世界だ」報道問題が発生。
ザックリまとめると、
とある雑誌のアジアツアーに関するインタビュー記事で、本人は言ってないのに「やりきった」「世界だ」なんて吊革の見出しでデカデカと書かれ、それにキレたASKAが出版社およびこのライターに盛大に抗議、しかもその顛末を本にして出版してしまう。
という騒動。
前提としてこの頃は時代的にもまだネットも普及し てないし、全体的にアーティストのパブリシティに関する意識は今よりもはるかに高かったというのはある。
長渕剛の「俺は桑田を許さない」騒動なども有名w
んで、だ…
これ当時問題の記事も吊革も見てるんですけど…
ぶっちゃけ「そんなに騒ぐことかぁ?アーティストって大変だねぇ~」という感想があったりしたんですが。
改めて振り返ると、ひとつの確信に近い推測が生まれます。
それは…
この当時のASKAの本心が…「日本ではやりきった、これからは世界だ」の方に近かったのではないか?
という疑惑。
「見せたくない本音を暴かれたという焦り」が、やり過ぎとも感じる抗議の源じゃないの?という。
記事を書いたライターも馬鹿ではない(本の中でも「優秀な人間」とされている)わけで、例え本を売るために煽る見出しだとしても、話の中で感じたものと全く異なる言葉はチョイスしないと思うし。
あとぶっちゃけこの時期、ハッキリとは言ってないだけでASKAの意識が「アジア/世界」へ向いてるってのは誰の目にも明らかだっただろ、とw
だって他のインタビューでは「ヨーロッパでポンとヒットが出るような気もしてるんですよ」とか言っちゃってるんだよw、こっちは否定しないのかよ?と
まぁそこには確実に“驕り”という成分も含まれていて、そこを込みでの「本音」は見せたくなかったと推測されます。
この辺、彼の「地位やステイタスが大好き、一方で周囲の目や評価が異常に気になる」という隠したい小心者な本性が出ている感じがしますな。
ちなみにこの本性、彼の心の師「手塚治虫」にそっくりだったりすんだよなぁ・・・。
<1995年>
■シングル「Something There」リリース
映画「ストリートファイター」の主題歌として全編英詞と話題になった曲。
まぁハリウッドって言っても元ネタ日本のゲームだし…
映画自体の出来もアレだし…と
言い方は悪いけど「落ち目の話題作り」という捕らわれ方をされた感もあり。
日本人アーティストの「ハリウッド映画主題歌」というステイタスはその響きの大きさに反して、大衆的にはぜーんぜん響かないという先駆けを造っちゃったかな、とw
その呪縛はその後ドリカムや宇多田でも払拭されずに今に至ってますが…
曲自体はサビからの広がりが心地よいチャゲアスらしい壮大なナンバー。
海外にこういう曲歌う人って少ないし、もうちょっとラッキータイミングがあれば海外でもヒットした気も。
いやーバブリーなプロモやぁ~
■アルバム「Code Name.1 Brother Sun」リリース
シングルも溜まってきたし、てな感じでアルバムをリリース。
インタビューでは「ギターサウンドだぜぇ」「ロックだぜぇ」ということを散々言っていたような。
シンセ・ピアノをベースにした音作りから、ギターを押し出したザックリとした音作りに…
なり切れずにちゅーとはんぱに終わった
という印象。
個々の曲はいいんだけど、アルバムとしてまとまりに欠けるんだよなぁ。
「Brother」「can do now」「201号」といった楽曲からは「新しいとこへ行きてぇんだ俺わぁ~」というASKAの心の叫びが伝わってきます。
シンプルながら力強さのある「no pain no gain」は隠れた名曲。
この曲、もう少し取り上げられもいいと思うんだよなぁ~。
今聞くと「それまでのチャゲアス」と「これからのチャゲアス」が混ざり合ってない印象がありますな。
ライブでもよく演奏される曲。ある意味じゃ非常にASKAらしい「ダメンズが女に逃げるソング」
それにしても何なんだこのテキトー過ぎるプロモは・・・苦笑
■ツアー「CONCERT TOUR '95~'96 SUPER BEST 3 MISSION IMPOSSIBLE」
「10億かかってる」とか「舞台セットをハリウッドに発注した」とか「この照明はマイケルジャクソンとチャゲアスしか使ってない」とか…開始前からそんな振れ込みで煽られていたツアー。
こういう前フリがあるときゃ大体ダメ
なんですよハイ。
個人的な感想を言えば
SAY YES以降のレギュラーツアーでは最低の出来
だと思う。
このツアー、前後半で2回見てるんですが、アルバム曲や「月が近づけば少しはましだろう」などの新曲を多くやっていた前半はまだ良かったんですけど、アジアツアーを経てこの辺が代表曲に差し替わった後半は惰性でやってるのが丸分かりのダレたステージングで非常に雰囲気が悪かったのを覚えてます。
もうね…
「モナリザ」で踊って「僕瞳」「YAH」「ロマンシング」っていうフォーマットに本人たちが完全に飽きてたんだよね。僕を含め客もかなりの割合でマンネリを感じてたし。
まぁクラプトンはマンネリを感じさせながらその後10年以上同じセットを通してるんで、やり続けるのもひとつの選択肢だったかもしれませんが・・・苦笑
まぁ僕自身が洋楽とか聞き始めたころで、オープニングムービーとかモナリザダンスを直視出来なくなってきた頃というのもありw
この構成の中で は浮きまくっている“ドラムソロからの「can do now」”が、やりたかった/やるべきスタイルだったというのはこの後のモデルチェンジを見れば明らか。
でも結局この後は、すべての対策やモデルチェンジが後手後手にまわってしまった印象ですな。
パッと見ると「集大成」と呼べるライブなんだけど、「頂上を超えて下りはじめた9.5合目」てな位置かと。
まぁこのツアーを以て、「SAY YES」から続いた“J-POPのトップスターとしてのCHAGE&ASKA”はその役割を終えるといってよいかと思います。
こういうのに無理が来てたんだろうなぁ・・・苦笑
やるべきはこの時点でこっちだったかと
これが一番わかりやすい。
こういうはっちゃけた曲をミョーに落ち着いたアレンジでやり始めたら危険信号w
<よだん>
このあたりで、世間を騒がせた「日本はやり切ったこれからは世界だ」報道問題が発生。
ザックリまとめると、
とある雑誌のアジアツアーに関するインタビュー記事で、本人は言ってないのに「やりきった」「世界だ」なんて吊革の見出しでデカデカと書かれ、それにキレたASKAが出版社およびこのライターに盛大に抗議、しかもその顛末を本にして出版してしまう。
という騒動。
前提としてこの頃は時代的にもまだネットも普及し てないし、全体的にアーティストのパブリシティに関する意識は今よりもはるかに高かったというのはある。
長渕剛の「俺は桑田を許さない」騒動なども有名w
んで、だ…
これ当時問題の記事も吊革も見てるんですけど…
ぶっちゃけ「そんなに騒ぐことかぁ?アーティストって大変だねぇ~」という感想があったりしたんですが。
改めて振り返ると、ひとつの確信に近い推測が生まれます。
それは…
この当時のASKAの本心が…「日本ではやりきった、これからは世界だ」の方に近かったのではないか?
という疑惑。
「見せたくない本音を暴かれたという焦り」が、やり過ぎとも感じる抗議の源じゃないの?という。
記事を書いたライターも馬鹿ではない(本の中でも「優秀な人間」とされている)わけで、例え本を売るために煽る見出しだとしても、話の中で感じたものと全く異なる言葉はチョイスしないと思うし。
あとぶっちゃけこの時期、ハッキリとは言ってないだけでASKAの意識が「アジア/世界」へ向いてるってのは誰の目にも明らかだっただろ、とw
だって他のインタビューでは「ヨーロッパでポンとヒットが出るような気もしてるんですよ」とか言っちゃってるんだよw、こっちは否定しないのかよ?と
まぁそこには確実に“驕り”という成分も含まれていて、そこを込みでの「本音」は見せたくなかったと推測されます。
この辺、彼の「地位やステイタスが大好き、一方で周囲の目や評価が異常に気になる」という隠したい小心者な本性が出ている感じがしますな。
ちなみにこの本性、彼の心の師「手塚治虫」にそっくりだったりすんだよなぁ・・・。